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『深山の乙女』(みやまのおとめ)は、1918年(大正7年)製作、1919年(大正8年)9月13日公開の日本映画である。配給は天然色活動写真(天活)。同日公開の『生の輝き』と並び、女優が登場する最初の日本映画の1作である。 日本映画の革新(純映画劇運動)を唱えた帰山教正が、『生の輝き』に続いて製作した監督第2作で、水沢武彦の名でシナリオを書き、監督と撮影を兼任。撮影助手は青島順一郎、俳優は前作に引き続いて花柳はるみ、村田実、近藤伊与吉、青山杉作を起用。1918年(大正7年)8月18日にこの6人の極小クルーで上高地のロケーション撮影を開始したが〔、撮影開始直後に現像場火災の報が入り、撮影を急いで下山、『生の輝き』のネガ原版は焼けてしまったが、本社にプリントが1本だけ残っていたという〔。同月29日から神奈川県・鵠沼で山中に見立てたロケを行った〔。9月から3か月にわたる帰山の兵役による中断を経て、同年12月5日撮影再開、都内ロケを経て同月20日クランクアップした〔。 1919年(大正8年)9月13日、本作が京橋の豊玉館で、『生の輝き』が六本木の麻布館で同日封切りされた〔深山の乙女、日本映画データベース、2010年7月5日閲覧。〕〔。 現在、東京国立近代美術館フィルムセンター、マツダ映画社ともに本作の上映用プリントを所蔵していない〔所蔵映画フィルム検索システム 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年7月5日閲覧。〕〔主な所蔵リスト 劇映画=邦画篇 、マツダ映画社、2010年7月5日閲覧。〕。事実上、鑑賞することの不可能な作品である。 == キャスト == * 裕福な青年奥田秀雄:村田実 * 乙女万里子 / 女優黒川静枝:花柳はるみ * 採鉱技師安藤富雄:近藤伊与吉 * 杣万里子の義父:青山杉作 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「深山の乙女 (1919年の映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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